04. レーザートーニング登場前夜
多くの患者にシミの治療を求められる臨床医は、隆起性の脂漏性角化症には炭酸ガスレーザー、平坦なシミにはQスイッチルビーレーザーというかなり有力な武器をあたえられたものの、いくつかの問題点に悩まされていた。レーザーを用いたシミ治療は勝負が早い反面、色素沈着や長く続く発赤などの予期せぬ副作用が頻発し、患者からの強いクレームがいつ爆発するか常に不安である。しかもシミに「肝斑」が合併していると色素沈着が強く出るし、また肝心の肝斑そのものの治療としては、トラネキサム酸の内服くらいしかないために、結局「治せない」シミが多くなってしまう問題があった。多くの医師にとって「シミの治療」は、やってみたいが手を出しにくい分野であった。
一方、そのころ横浜のY医師は、老人斑にはレーザーを、また肝斑には内服・外用を中心に患者の治療を行っていた。その中で、こうした普通の治療に反応しない難治性の肝斑患者に、当時外国で報告が出始めた低フルエンスQYAG治療(レーザートーニング)を試みたところ、改善する例があることに気づいた。また、この方法は通常のシミのレーザー治療(Qルビー・CO2など)に比べて短期的副作用が少ないことに気づいた。ただし、Y医師はこの時点では肝斑の治療の主体はトラネキサム酸の内服や美白剤の外用療法であると公言していた。また、レーザートーニングによって老人斑も少し薄くなると述べている。
そこに目をつけたのがJMECである。LPIRの空前の大ヒットによって会社は大きくなった。しかし、その後の商品はいくつかヒットしたものの、そのヒットの大きさはだんだん小さくなっていった。炭酸ガスレーザーに続いてQスイッチルビーレーザーの製造権を東芝から買い付けて念願の自社製造にこぎつけたものの、思ったよりも製造コストが高くつき、海外商品を輸入代理店として売った場合の利益率の高さには遠く及ばないことに失望していた。他社の激しい追い上げにも迫られ、追い詰められたJMECは、この悪魔の道へ、道を踏み外していくことになる。
(2015/1/25記)